兄がなくなってからというもの
「死」に対して真剣に向き合う事が増えた。
人によって意見が分かれる事だから
これが正解ってのはないけど正直に
僕の価値観をこのブログに残していこうと思う。
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僕の大事にしている考え方。
自由=責任だという事。
これは死ぬ事に関してもそうだと思ってる。
死ぬか生きるか。
これも自分でコントロールがしたい。
だから自殺をする人に関して俺は悪いと思わない。←まぁ飛び込みとか、やり方は問題かもしれないけど
自分で人生の幕を閉じる事が
できたらどれだけ幸せだろうか。
いつ死ぬのかわからず
老後のお金の問題だったり
幸せがいつまで続くのか。
自分の権力や財産を老いにより
失う事を恐れて生きるくらいなら
いっそのこと寿命を決めて
財産も全て使い切って、周りの人に感謝して、自分達の妻と子供たちにメッセージを残して死にたい。
死ぬ日が初めからわかっていたら
みんなもっと自分の時間を
大切にするのではないだろうか?
あと1年の命なら
だらだら過ごさないで
人を大切にしたり
楽しむことにもっと時間を
使うのではないだろうか?
花がしおれても枝から落ちずに
生きる事にしがみついているから
新しい花は咲かずにどんどん
腐っていくのではないだろうか?
「死」というのは芸術である。
スティーブ・ジョブズが大学の公演で演説したように死があるからこそ次の世代へのバトンがわたり、次の世代の道がひらけるんだと思う。
自分は70歳で死ねる濃い人生を送りたい。
50までは一生懸命働いてお金を残して
70まではそのお金を一生懸命つかう。
そして沢山の人に囲まれながら惜しまれて
死にたい。
最初に戻るけど
果たして死を選ぶことは悪いことなのだろうか?
むしろ死にたい人を無理矢理生かす事の方が
悪ではないだろうか?
人の命を奪う事はもちろん。人の死への選択を
奪う事も同じくらい悪だと俺は思う。
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"スタンフォード大学でのスピーチから参照"
今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか?
「No」という答えが幾日も続いたら、私は何か変える必要があると知るのです。
死を意識することは、人生において大きな決断をする価値基準となる最も大切なことです。
何故ならほとんど全て、外部からの期待やプライド、恥や失敗への恐れ。
これらは死によって一切なくなるのです。
あなたが死を意識することが、失うことを恐れない最良の方法なのです。
あなたたちは既にありのままなのです。
思うままに行動しない理由はないのです。
誰も死を望みませんよね、天国に行きたいという人さえ死を望まない。
にも関わらず、死は我々が共有する最終地点なんです。
誰も逃れることは出来ないのです。
そしてそうあるべきなのです。死は生における最も優れた創造物なのだから。
それは生に変化を起こすもので、古きものを消し、新しきものへの道をつくるのです。
今、新しきは君たちです。しかしそう遠くない未来に君たちも古きものとなり消えてきます。
とてもドラマチックな言い方で申し訳ないのですが、これは全くの真実なのです。
君たちの時間は限られている。だから無駄に誰かの人生を生きないこと。
ドグマに捕われてはいけない それは他人の考え方と共に生きるということだから。
他人の意見というノイズによってあなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。
最も大事なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持つことです。
それら内なる声、心、直感はどういうわけか
君が本当は何になりたいのか既に知っているのです。
それ以外のものは、二の次でいい。
Stay hungry, stay foolish.
(ハングリーであれ。愚か者であれ。)