僕が治療家を目指した原点にはいつも祖父母がいます。
小さい頃から父親はいなく、3つ上の兄と母とで、祖父母の家で育ちました。
ばあちゃんは話が長く、一度話すと2〜3時間感謝をすることの大切さを延々と教えてくれます。断るのが苦手な僕はいつもBGMのように聞き流していました。
じいちゃんは父親のいないぼくにとって唯一の男の頼れる存在。普段はシャイであまり話さないけど2人きりになると昔の武勇伝を語ったり僕の学校生活など聞いてくれます。
2人とも仲がよく、いつも爺ちゃんがボケながら婆ちゃんをいじり、婆ちゃんは不機嫌になったり突っ込んだりして、楽しそうにしてます。
思い返せばいつも笑ってたなぁ。
母と兄が東京に住み始めた高校2年の頃。
祖父母と過ごす時間が多くなり
たまたまじいちゃんと2人きりになった時に初めて恋愛の相談をしたことがあります。
シャイなじいちゃんは驚いたように、「なおやも恋愛してるのかぁ」と笑っていましたが
学校から帰ると、2人して僕の恋愛をテーマに3時間ほど質問攻め。
ばあちゃんは相変わらず「どんな事があっても相手には感謝しなさいよ」と同じ事を繰り返す。
じいちゃんはばあちゃんに便乗して冗談で返す。
こうなってくると、いつのまにか何に悩んでるのかもわからないくらい暖かい気持ちに包まれてしまう。
ほんと仲良い2人だなぁ。笑
少し道を外して警察署にお世話になった時も
酒を飲んだりタバコを吸ってるのがバレた時も
朝帰りが多く夜ご飯がラップに包んであるのに食べない日が続いた時も
一度も怒らず、「お前がいてくれるだけで幸せだよ」「身体だけはこわさないように」「人に迷惑はかけるなね」「何事にも感謝しなさいよ」と言われ続けてました。
遊びに夢中だった僕は、はいはい!!と聞き流してましたが、相談事をよくしてたこともあり、徐々にじいちゃんとばあちゃんの事を尊敬する様になってきました。
いつか恩返しできるといいな。
そんな想いがどんどん強くなってきました。
実は、ばあちゃんは畑仕事が好きだけどリウマチでいつも手がパンパンになって近くの温泉に通ってたり、じいちゃんも過去の怪我で身体はボロボロ。
そんなとき、高校を卒業するタイミングでたまたま母親がさがしてくれた東京の接骨院の仕事。
よし!これだ。
東京で修行して5年後鹿児島で開業する!ときめ
たのが僕の治療家人生のスタートでした。
僕の仕事の原点にはいつも、鹿児島という生まれ育った環境への感謝と、腕を磨き祖父母に恩返しをしたい。
といった想いがあります。
だから経営者になりきれないのかな、、笑
夢を目指す過程で
兄が亡くなったり
実家が差し押さえになり
祖父母が東京に来ることになったり
いろんな環境の変化はあったけど
いつも家族を幸せにしたい。という想いが
自分の原点でありそれを教えてくれた祖父母にはずっと感謝してます。
母親も1人で2人を育て、必ず必要なタイミングになると力を貸してくれ道を作ってくれてたことに最近になって気づきました。
自分が親になってみてようやく親へ感謝ができるようになれたかな、、。まだまだか
ほんと大変だったろうなぁ。
ありがとう。
結局こっちで結婚をして、鹿児島には戻れなかったけど、どんな形であろうといつかは地元にも恩返しをしようと思う。
また、定期的に鹿児島にも帰るよ
夢を与えてくれてありがとう。